「歴史と街かと」
    東大阪、四条・縄手地域

        古墳のある学校、惣道場 安養寺と一里塚、河内往生院金堂跡
        梶無神社とあおばずく(青葉梟)瓢箪山稲荷神社と辻占  四条の地蔵尊たち


 古墳のある学校山畑古墳群47号墳

 上四条町の山腹にある山畑古墳群は群集墓で、確認されているだけで68基が標高100〜150メートルの斜面に点在している。六世紀後半から七世紀前半にかけて築造されている。当時この地域を支配し、勢力を持っていた氏族の墳墓であったと考えられる。山腹の尾根を利用して横穴式石室を作り、その上に土を盛り上げたものである。
 墳丘や石室の規模は16メートル〜数メートルまでさまざまであるが、ほとんどが円墳である。石室には、石棺、木棺にに遺骸をおさめ、直刀・鏃などの鉄製武器や斧、鞍、轡などの馬具、土師器・須恵器がセットで副葬されている。
上四条小学校のある古墳も山畑古墳群の一つで、三つの石棺がおさめられ、金の飾りのある耳輪、刀、鏃が出土している。古墳の形や石室の作り方、出土品からみて、ここに葬られていた人は、朝鮮半島からの渡来人で、馬を飼っていた一族だと考えられる。
 古墳は中庭にあり、子どもたちにも良い学習環境になっている。
 
最寄り駅 近鉄奈良線瓢箪山駅下車、南東へ1000メートル


 惣道場 安養寺と一里塚絹本着色阿弥陀如来画像
 安養寺の歴史は室町時代にさかのぼり、惣道場として創建されている。「惣」とは、6〜20戸法華経塔(一里塚)程度の小村を「垣内」と言い、垣内の集合体を「惣村」と呼んだ。惣村(そうそん)は、中世日本における百姓の自治的・地縁的結合による村落形態を指す。
 当寺のある四条もその「惣村」で旧村内に残る「空川」「東小路」「棚林」などは垣内名である。惣道場は、惣村の中にあって信心だけでなく寄り合いの場所であって村の社会生活の中心であった。安養寺を訪れたのは、東大阪東部の最古の惣道場であり、所蔵されている方便法身尊像「絹本着色阿弥陀如来画像」は浄土真宗念仏道場の画像本尊として、永正七(1510)年本願寺第九世、実如より下付された貴重な文化財であり直に拝見したいためであった。この方便法身尊像は、実は火災に遭いいたみがひどいものであったそうだが立派に修復され当初の輝きを蘇らせている。
 また、境内に貝原益軒が「南遊紀行」で「山の根の道」と呼んだ東高野街道の一里塚「法華経塔」がある。この一里塚は鳴川越道との分岐点、東診療所北側にあったものである。
 最寄り駅 近鉄奈良線 瓢箪山下車 南東へ1000メートル


 河内往生院金堂跡
河内往生院金堂跡金堂軒周り一部を復元  現在の六萬寺往生院の東方300メートルの所に創建当時の金堂跡と思われる建物の「礎石」が一つ藪の中にひっそりと残っていた。三善為康が著した「拾遺往生伝」には、平安時代に念仏聖である安助上人により創建されたと見える。当時、世の中が乱れ末法の世といわれ極楽浄土への往生を願う浄土信仰が始まっていた。四天王寺のある台地は西方に海が広がり、沈み行く太陽を拝むのに好適な場所であり、各地から四天王寺を訪れ西方極楽浄土を拝んだといわれている。これが、夕陽丘の地名のいわれで、彼岸参りの習慣はこのころ始まった。
 金堂があったこの地は、”四天王寺の東門であるとともに極楽浄土の東門にあたる”ことから極楽往生を達するためにふさわしい場所であり、さらに夕陽を見て極楽往生を願う日想観(じっそうかん)を修する場所であった。実際、往生院は四天王寺のほぼ真東に当たっており往生院から見る彼岸の太陽は四天王寺に向かって落ちていく。
 往生院境内には「往生院六万寺歴史館」があり、西面する正面五間、奥行き四間の金堂の軒周りの一部が復元されている。また出土した瓦など展示されている。一見の価値がある。
 河内で生まれ育った楠 正行が四条・縄手の合戦において河内往生院、阿弥陀如来に戦勝祈願し戦場に赴いた。往生院に本陣があったので、戦いの中で高 師直の手によって焼かれた。正平3(1348)年のことだった。創建当時の梵字文軒丸瓦
  最寄り駅 六萬寺往生院は瓢箪山駅前より近鉄バス、下六万寺下車。東へ2000メートル



 梶無神社とあおばずく(青葉梟)

  もとは、四条梶無の里(現在の神田町)にあり、この地は、神武天皇が孔舎衙坂の戦いに敗れ、一軍を引き連れて難波江を南下したとき、風雨が強くなり、梶が折れて漂流し、船がついたところと伝えられている。本殿北側のくすのきは、毎年飛来するフクロウ科の全国的に減少が危惧されている準絶滅危惧種でもあるアオバズクの繁殖地として市の天然記念物に指定されている。梶無神社の祭神は、瓊瓊杵尊、木花開耶姫。神アオバズク紋の「上り」藤は、生駒山西麓に「藤」の神紋が多いが「下がり」であり、「上り藤」を他に見ない。
 江戸時代までは航海の神、船山明神として崇敬を集めていたとの記録が有る。今は大阪の幹線道路外環状が走りその面影も少ないが、梶無の西には恩智川が南から北へ流れていて、大和川の付け替え(1704)後も池島と呼ばれる一体は南北に長い大きな池であった。(スケッチは山田修さんの作品です。)
  最寄り駅 近鉄奈良線瓢箪山駅より南へ徒歩、1000メートル  

 
     

 瓢箪山稲荷神社と評判の辻占
瓢箪山稲荷鳥居狐の狛犬瓢箪山稲荷神社の辻占

 祭神は、宇迦之御魂神=保食神で、日本三大稲荷(伏見稲荷、豊川稲荷、瓢箪山稲荷)の一つ。近鉄奈良線瓢箪山駅南東の小高い丘の上ある瓢箪山稲荷神社は、天正12年(1584)豊臣秀吉が大阪城築城にあたり、大阪城鎮護のため辰巳の方角、三里の外に家臣・片桐且元に金の瓢(ひさご)を埋めさせ、丹後元伊勢神社から「ふくべ(瓢)稲荷」を勧請したことに始まるという。
 瓢箪山は瓢箪山古墳と呼ばれる双円墳で、ヒョウタンを埋めたような形に似ていることからこの名がついた。本殿は、慶応2年建立。瓢箪山稲荷神社は江戸時代から辻占い(つじうら)が行われ、明治時代になって宮司山畑阿良美(山畑顕海)が「辻占」を創始するに及んで河内瓢箪山恋の辻占として全国的に知られ、参道にはたくさんの旅館・茶店が並び賑わった。
 現在の瓢箪山稲荷神社の辻占は、おみくじを引いて東参道入り口の「占場(うらば)」(うらばの碑)に立ち、おみくじの番号が1なら通行人の1人目、番号が2なら 2人目の人の姿や特徴(年齢、性別、服装、持ち物など)を社務所の宮司に告げ、それによって依頼者の運勢を判断する「神断」を下すと言う方法。「辻」は漢字ではなく、国字だそうで、「辻」は古来日本人にとっては非日常の場であり、奈良平安の頃より村はずれの「辻」に立って、すれ違う人の言葉を神示とする俗信があった。ここでは「人の言葉」でなく「姿」「特徴」で数百年来宮司家に伝えられている独特の霊示により判断される。
 辻占「福笹」も独特で楽しい占いだ。笹の餅皮は「餅花」といい、餅皮は五行に基ずき、「木」は緑、「火」は赤、「土」は黄、「金」は白、「水」は紫の5色で表している。「やきぬき」と「おみくじ」そして「あぶりだし」の3枚が入っているので本当に楽しんで「辻占」をすることができる。業者製作の御籤が多い中で、手作り、自作のおみくじとはうれしくなる。
 「よく当たる」と評判の瓢箪山稲荷神社の「辻占」。人との出会いの不思議さを感じられたことが多々ある。
 「人」との偶然の出会いから判断する「辻占」は、生きる上で人との出会い、つながりを、人を尊重することの大切さを教えてくれているようだ。  最寄り駅 近鉄奈良線瓢箪山駅南へすぐ



 地域の守り神ー四条の地蔵尊たち

 上四条・縄手は中世から近世にかけて幾度か戦場となった。特に、南北朝時代では南朝側の楠  正行と北朝、高 師直・師泰との四条・縄手の戦いが六万寺、枚岡にかけて繰り広げられ。また、若江城を築いた河内守護職畠山氏一族同士の戦いは「応仁の乱」につながり、四条も大きく影響を受けた。戦いの中にあって、人々は惣村の「垣内」ごとに自主的に団結し村や田畑を守ってきた。そして、垣内ごとに地蔵堂を造り地蔵尊を祀り、戦乱で亡くなった人々への冥福や自然の恵み、子どもの健やかな成長と平和を祈る地蔵信仰がひろがった。
 空川地蔵尊、少し東に行くと出合地蔵尊があり、東小路地蔵尊、下って役井地蔵尊、少し南に行くと畑小路地蔵尊がある。いずれも南北朝時代から祀られている。
空川地蔵尊 出合地蔵尊 東小路地蔵尊 役井地蔵尊

 空川地蔵尊は、今は埋められているが以前流れていた空川に架かる橋のたもとの小高い土手の上、垣内との境にお堂が建てられ祀られたが、花崗岩でつくられており厚肉彫りで彫り出された立派な地蔵菩薩で高さが129センチある。実は、下半身が欠落しており、お体は胸までで、完全なお姿を形を考えたら2メートルもの大きな地蔵尊といえる。宝珠や光背の線から見て南北朝時代後期の作品と推測され、製作された南北朝時代からここにあったといわれている。もとは村の東方、鳴川峠越え道の「出合」の岩壁に彫られた磨崖仏を、採石の際に切取り、現在の場所へ移して乾小路(いぬいしょうじ)の守り地蔵として祀ったもの。
 出合地蔵尊は、写真では分かりにくいが不整形の花崗岩に縦61cm、横57cmの四角の掘り込みを作り、向かって右に像高52cmの来迎印弥陀立像と、左に同寸法の錫杖を持った地蔵立像を浮き彫りにした二尊石仏。弥陀と地蔵像を並べて彫る石仏は、古い墓地に多く見られ、様式的には室町時代に流行し、形が小さいのが普通だが、この出合地蔵は大きくて彫刻もすぐれており、この地蔵尊も南北朝時代末期ごろの作と考えられている。
 この四条には今も、地域の人々の信仰の対象となっている地蔵尊が多く存在していることに驚くを感じる。お地蔵さんの赤い前掛けに込められた願い、それは、地域の人々の子どもの健やかな成長と平和と豊かな自然への恵みです。
  最寄り駅 近鉄奈良線瓢箪山駅南東800メートル 四条町一帯


四条、縄手地域の歴史、文化遺産、史跡について会報23号、76号そして、社会教育センター歴史探訪などで詳しく紹介しています。


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